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殆どの人々は,訳も分からず,まだ生き足りなかったと思いながら死んでいくのだろうか?
死に際に何を考えるのだろう。
人間として生まれながら,社会の中で皆がほぼ同じように生きてゆく。
学校に行き,仕事をし,ある人は経済的に成功し「誰もがうらやむ生活」を手に入れる。
「誰もが望む人生」とは何なのだろうか?
経済的に何の心配もないという事。
日銭を追って生きる人生を超えたところにある人生には何があるのか?
セレブの生活があるだろう。自分の実現したいことを実現し,ある人は大自然の中に,ある人は大都会のど真ん中に住み,それでも社会に参加し,寄付などをして名誉を買ったりするが,一方,貧しく家もない人々がそれで助かった,という話はあまり聞かない。
マザーテレサにしたところで,貧しく病気で死にゆく人々に寄り添ったかもしれないが,その前の段階で貧困を止めたと言う訳ではないだろう。
「ユニセフ大使」にししても,同じこと。
「恰好ばかり」に見えて仕方がない。「偽善」という言葉が否応なしに浮かんできてしまう。
自己実現というが,自己実現が簡単に出来てしまった後,ヒトは何を求め始めるのだろうか?
子供を育て終わり,家族で生き続ける人達もいる。彼らは最後まで幸せそうに見える。
人間としての幸福はその辺りにあると言えるだろうか?これも一つの事実だと言えると思う。
だが,日銭を稼ぐ多くの人々は,「自分が自己実現できている」,と感じてはいないだろう。
自らがそのような状態にあると気付いてしまった場合,すでにもう,自分の望みなど日常という雑音に掻き消されてしまい,何をすればよいのか,それどころか,「何がしたいのか?」ということさえ,曖昧模糊とした未来でしかなくなり,文字通り「日銭を稼ぐ」だけが存在理由になってしまっているのではないか。そうなってしまったら,そこから抜け出すことは難しくなる。
死の間際
この世の活動を終えるとき
人生を考え直すとき。
死の間際は
今この時だ。生まれた瞬間から
人は死を待っている
残り時間の中に存在している
寿命は延び
動くこともままならず,意識さえなくとも生き続ける
「死と隣り合わせ」という言葉は,別に危険な環境で生きている人だけに当てはまる言葉ではない。これは,人間すべてに当てはまる言葉だ。
「人の誕生」自体が「死」を内包する。
生まれた者には,必ず死がやってくる,という事だ。
いくら安全な社会に生きようとも,全ての人が寿命を全うするわけではない。
しかし,大多数が命を落とすことなく,危機感を持たずとも生きられる日本社会に生まれ育てば,「死」というものは日常とはかけ離れた未知の恐怖として心理の奥底に押しやられ,日常の中で意識することはない。
それにもかかわらず。「生まれた者は死ぬ」というのが,この世で初めの真実であることに変わりはないのだ...。